第3回 「日光を見ずして結構と言うなかれ ~世界文化遺産・日光がさらに近くなりました~」
日光を見ずして結構と言うなかれ
~世界文化遺産・日光がさらに近くなりました~
会津鉄道(株)
代表取締役社長 大石 直
4年ぶりに改修なった日光東照宮国宝「陽明門」。今年のゴールデンウィークでは、普段は車で10分で行く日光駅から表門まで、2時間半かかる大渋滞が生じたようです。こんな時は歩くに限ります。
会津若松駅発7:52➡➡ (快速AIZUマウントエクスプレス号)➡➡東武日光駅着11:00……ゆっくり東照宮ウォーク。 (5月18日は春季大祭見物でした)。
帰りは、東武日光駅発16:33➡➡(快速AIZUマウントエクスプレス号)➡➡会津若松駅着19:55。ゆっくり5時間、日光を楽しんで日帰りが可能になりました。
4月21日のダイヤ改正で、会津から日光への直通列車(AIZUマウントエクスプレス号)を1本増やしました。これまでは行きは良いが、帰りが不便で列車の旅は不人気でした。それを解消することと、実は日光で楽しんでいる、1200万人の観光客を何とか会津に足を延ばしていただくため、夕方日光を発って会津に入る列車を増やしたのです。
会津と日光は、すでに皆さんご存知のように、非常に深い縁に結ばれています。単なる世界遺産というだけではなく、先人たちが関わってきた歴史を知ることによって、さらに身近な日光になってゆくような気がします。
私は歴史家ではありませんので講釈はできませんが、日光東照宮の造営を指揮したのは、当時、日光山輪王寺の貫主を務めていた天海大僧正です。天海僧正は会津美里町で生まれたといわれ、旧高田町の龍興寺には両親の墓があります。ちなみに、会津美里町のキャラクターは慈眼大師ともよばれた天海さんのようです。
明治に入り、旧会津藩主・松平容保公が日光東照宮の宮司を、家老西郷頼母が、禰宜を務められたことだけでも縁の深さを感じます。
昨年、3代家光公の廟所がある大猷院を参ってきました。拝殿前には保科正之公からの大きな一対の青銅の灯篭がありました。そこに刻まれた銘を見たとき、なぜか自分が会津人でよかったと感じたのは、年のせいばかりではありませんでした。
かつて会津市内の中学校の修学旅行は日光が多かったと聞きます。子供の時代に世界遺産に触れること、そして、それが自らのルーツに繋がることを体感することは、この上なく郷土愛を育み、世界視野を持つ人間形成に大いに役立つものと私は思っています。
夏休みには、AIZUマウントエクスプレス号にのって、日光に行けたらいいね。
※この文章は会津嶺2017年6月号に掲載されたものです。